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中山 健児 院長

KENJI NAKAYAMA

「頼れる町のお医者さん」としてみなさんの快適な暮らしをサポートしたい。

筑波大学医学専門学群を卒業後、 東京警察病院の整形外科に入局し経験を積んだのち、江戸川橋駅近くに開業。

中山 健児 院長

中山 健児 院長

なかやまクリニック

新宿区/山吹町/江戸川橋駅

  • ●内科
  • ●整形外科
  • ●リハビリテーション科

医学は未知の世界を切り開く学問。

中山 健児 院長

もともとはね、私は文系の人間なんです。弁護士を目指していました。ところが、早稲田大学の法学部に合格して最初の頃、講義を受けていたら、学生運動の煽りで、教室を占拠されることがよくあったんです。そんなことが続くうちに、「ここでは落ち着いて勉強ができない」と新たな道を探すことにしました。そこで影響が大きかったのが、父の存在です。
医学の道に進みたかった父は、医大の試験で色盲であることが分かり、医師への道を断念せざるをえませんでした。私にその夢を叶えてほしかったのでしょう。「医学部に入らんか?」とよく勧められたものです。父はその後も、出版社に入って、編集長として、医学大辞典の作成に携わりながら、医学の素晴らしさを受験勉強中の私によく語ってくれました。「医学は未知の世界を切り開く学問だ」と。この言葉が胸につきささりましたね。ちょうど、法律の勉強に興味を失ってきたこともあり、「医者になって未知の世界を見てみたい!」と医学部を受験する決心をしたのです。筑波大学を受験したのは、全く新しいアメリカ式の教育システムに基づいて、まさに今脚光を浴びている「総合医=General Practitioner(GP)」を養成するという教育方針に共感したからです。父が学んだのが東京文理科大学(筑波大学の前身、東京教育大学の母体の一つ)だったこともあり、「絶対合格してみせる!」と勉強しました。広大な敷地に立っている施設の空撮写真も魅力的でしたね。

土日も関係なく働き経験を積んだ東京警察病院時代。

中山 健児 院長

筑波大学の医学専門学群を卒業したあと、 東京警察病院の整形外科に入局しました。そのころは、大学で知り合った家内と、もう結婚していたんです。「男が家族を養う甲斐性がなくてどうする」という時代でしたから、家族を食べさせるために、土日も関係なく働きましたね(笑)子育ては家内に任せていましたが、おかげで仕事や勉強に集中できました。この「修業時代」に、最先端の整形外科医療をはじめ、救急医療やリハビリテーション医学を叩き込むことができました。期間としては12年でしょうか。この間に経験を蓄え、平成3年7月、新宿区山吹町に『なかやまクリニック』を開院したんです。なぜ山吹町かと言うと、尊敬する私の父が亡くなったあと、茫然としている私のもとに、父と旧知の間柄の開業医が、「東京警察病院で中山さんの息子さんが働いている」という噂を聞いて、場所を紹介して下さったんです。「ここなら、東京警察病院も近いし、後楽園ホール、日本武道館などのアクセスも便利だ」ということでここに決めました。
それまでは、60歳にして鍼灸師の資格を取り、天津の上級中医学院に留学をして日本一の鍼灸師を目指していた父とタッグを組んで、川崎あたりに開院したいという目標がありました。その目前で父が逝ってしまったので途方に暮れていたのですが、この声掛けが奮起するきっかけとなりましたよ 。

リングドクターとしても充実した日々を送る。

中山 健児 院長

診療科目は、整形外科、内科(水曜日の午前中は、循環器内科の専門外来となっています)です。以前勤務していた、東京警察病院をはじめ、JCHO東京新宿メディカルセンター(旧東京厚生年金病院)、国立国際医療センター、東京女子医大病院、都立大久保病院、日赤医療センターなどと連携もとっております。他と変わっている点といえば、私の経歴でしょうか?それは、「リングドクター」をしていたことです。先ほど、東京警察病院で働いていたというお話をしましたね。その東京警察病院は、後楽園ホール、日本武道館、講道館に非常に近い場所にあることから、スポーツ選手が多く来院していました。その中で、さまざまな選手と親交を深めることができました。そのご縁でリングドクターを頼まれるようになり、10年近くリングサイドに座ることになりました。もともと格闘技が好きだったので、仕事としてはとてもワクワクして楽しかったですが、とにかく忙しかったですね。院内にはそのころ診察していた選手のサイン、フィギュア、写真などがたくさん飾ってあるんですよ。

しっかり患者さんと話をする医者でありたい。

治療にあたって一番患者さんとの信頼関係を大切にするということですね。そのためには、患者さんの話をしっかり聞くことが大切です。それに対して、「今、どのような症状が起きているのか」「何が原因でそうなってしまったのか」などを、丁寧に説明するように心がけています。面倒がらずに丁寧に説明し、どこが異常なのかについてもある程度理解してもらう。また医療用語と言うのは、患者さんにとっては、もちろん普段は聞きなれないものであり、さらっと説明されただけで十分理解することは難しいですよね。だからこそ、患者さんが「ああ、そういうことなんだ」と納得してくれるまで話をしなければなりません。
何の説明もなくいきなり注射されたり、よく分からないまま治療が進んでいくなんて、不安じゃないですか。実際に他の医療機関でこんな目にあった方が来院されることがあるんです。「私はしっかり患者さんと話をする医者になろう」と気を引き締めています。ありがたいことに、開院当時から、患者さんの紹介で別の患者さんが診察に来て下さるという流れが自然とできているのは、「きちんと話を聞いてくれて説明をしてくれる医者だ」と、地域のみなさんに認識していただいているからかも知れません。

これから受診される患者さんへ。

私が修業時代にお世話になった先生の教えの中に「患者さんが受診されたらできるだけその日のうちに、患者さんの持つ問題を解決してあげるべきだ。」ということがあります。その教えはずっと私の中に生きていて、できるだけお越しいただいた日のうちに問題が解決できるようにしています。ただ、「この症状については、より専門的な治療が必要だな」と感じた時には、連携をとっているそれぞれの専門医や病院に紹介状を書くなどの対応をしてきました。当院は、山吹町に開院して20年以上になりますが、これからも「頼れる町のお医者さん」としてみなさんの快適な暮らしをサポートしていきたいと思っています。また、近隣に大病院もあることから、連携をとりながら患者さんを診させていただくのに、非常に恵まれていますので、さまざまな面で相談にのることができます。患者さんご自身だけではなく、ご家族のみなさんを含めて、長くおつきあいさせていただこう、と思っています。

※上記記事は2014年6月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。

中山 健児 院長 MEMO

気管支鏡専門医 /腎臓専門医

  • 生年月日:1954年6月18日
  • 出身地:東京都
  • 血液型:B型
  • 趣味・特技:旅行
  • 愛読書・本:東野圭吾、池井戸潤、SF
  • 好きな言葉・座右の銘:不羈独立
  • 好きな音楽・アーティスト:沖縄ソング、ボサノバ、ジャズ、歌謡曲
  • 好きな場所・観光地:沖縄・台北

グラフで見る『中山 健児 院長』のタイプ

穏やかでやさしく話しやすい先生

穏やかでやさしく
話しやすい
エネルギッシュで
明るく話しやすい

先生を取材したスタッフまたはライターの回答より

穏やかでやさしく話しやすい先生
穏やかでやさしく
話しやすい
エネルギッシュで
明るく話しやすい

先生を取材したスタッフまたはライターの回答より

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